天才を勝手に諦めた天才
『天才はあきらめた』を読んだ。南海キャンディーズ山ちゃんの自叙伝。
昔の自分をあたかも他人のように客観的に書いているので、くどくなく読みやすかった。
NSC時代やM-1創成期時代の話がお笑いファンの僕の心をくすぐった。NSC22期生は売れっ子キングコングを筆頭に、ダイアン、とろサーモンなど。前後にはブラックマヨネーズ、フットボールアワー、麒麟、笑い飯、千鳥なんかが居る。陣内智則や友近も確かそう。
この自叙伝にも出てきたが、彼らの時代のオーディションやネタバトルの話が格別だ。酒を持ち込みネタ見せの受付の列に並んでわざと大声で談笑をしていた2組のコンビ、笑い飯と千鳥の話なんかは映画のワンシーンのようだ。
そんな同期達の中でどぶまみれになりながらも山里亮太は確実に芸の道を進んでいくのだ。天才はあきらめた、と謳っているが自分に対する分析力や思考の過程を追っていると、お笑いに対する取り組み方は天才や秀才の部類に入るのではないか。もしかすると病人なのかもしれない。
時に人を蔑み天狗の鼻になりながらも、厳しい漫才師の世界の上澄みになろうと必死になっていた若き日の山里亮太。僕は彼の姿を想像して胸を打たれた。
「お笑い芸人」という世界はバラエティや劇場だけにとどめるのではなく、こうやって小説や、はたまた映像に残すことは意味のある行為ではないかと思う。
僕がもし映画監督なら、NSC22期生前後の芸人たちの熾烈な争い・実力社会と自身との葛藤を映像に起こしたい。