大学生Pの視点。

本や映画を観て感じたこと、日常生活の備忘録

ENGEIとStand up Comedy

朝から昨日のENGEIグランドスラム見直した。

千原兄弟のコント「四十九日」はやはり圧巻。

最初の笑いまで1分以上かかってるのではないかと思われるが、設定バラシで大ウケだった。

ホンマでっか!?TVのチーン」と「仏壇のチーン」を掛けていた。

あと面白かったのが、トライアウト優勝者まんじゅう大帝国。落語のような出口のない笑いがダウンタウンを彷彿とさせる。

例えば、

ボケ「部屋に居てたらピンポンピンポンって音がしたから全問正解したのかな?って思ってたんだけど、よく考えたら違うみたいなんだよね。」

ツッコミ「それは違うよ。一問落としたんだよ。」

普通だったら、インターホンだろ!とツッコむかもしれない。でも、それでは世界が広がらない。

お客さんを手のひらで踊らせる、そこが漫才はもちろん、話芸の醍醐味かもしれない。Attachment.png



マーベラス・ミセス・メイゼルを最後まで観た。

夫に捨てられた妻がスタンドアップコメディアンを目指して奮闘する物語。

舞台は1950年代なので男女差別が日常的に存在し、女性がコメディアンになるには色気を捨てて当然であると考えられていた。時代を席巻していた女性コメディアンは太った庶民的なタイプだったが、実はそれはキャラ作りである事を知った主人公は彼女を痛烈に批判した。なぜ、「自分」で勝負しなかったのだと。それが原因で主人公は一旦干されるのだが、その後最後まで自分のありのまま、マイク一本で勝負に挑んでいた主人公は勇ましく映った。

ペルソナ、と呼ばれる仮面を持ったまま戦うのが芸人なのか、それとも表裏無く戦うのが芸人なのか。

やはり、最終的に評価されるのは後者であろう。

作り込まれた笑いも面白いが、面白い奴には敵わない。

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99人の壁

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フジテレビ「99人の壁」を見た。

久々に新しいバラエティ番組の形かなと思ったので、少し書こうと思う。


この番組は、それぞれ異なるジャンルに強い視聴者が100人が四方に分かれて座り、毎回挑戦者1人が真ん中の法廷のような場所に出てくる。そこで、挑戦者の得意なジャンルのクイズが5問出され、99人の敵をかわして連続正解出来れば100万円といった番組だ。クイズ1問ごとに敵は25人→50人→75人→99人と増えていく。


形は面白かったのだが、細部のこだわりが欠けていたように思う。見ていて引っ掛かった箇所を何点か挙げる。


まず、挑戦者の得意なジャンルでのクイズに他のジャンルが得意な素人の敵を用意しても面白くないのでは?というポイント。敵が4人の雑学王であればもっと面白いのではないか、と考えた。「路線図マニア」が100万円を手にしていたが、普通の人は路線図見ないし。全く歯が立っていなかった時間が多く、99人の必要性はあまり無いんじゃないかなぁ。。画的な圧力にはなっていたけれど。


次に敵が25人ずつ増えていくシステム。これも敵が増えたからといって阻止率が上がるわけでもなさそう。それはジャンルによると思う。例えば、「コンビニマニア」であれば敵が増えれば損だ。コンビニはみんな知っているから。対して先ほどの「路線図マニア」は敵の大小にはほぼ関係が無かったように思う。そして、この25人ずつのブロックを東西南北としていた。これは体裁は綺麗だった。


もう一つ気になったのは、東西南北の敵を撃破し、見事100万円を手にする事をグランドスラムと言っていたところだ。99人の壁では、和風のロゴや言い回しを大切にしていたようなのに、最後のグランドスラム!で全部吹っ飛んだ。グランドスラムってテニスの4大会制覇、とか、満塁ホームランの時に使う言葉なのに、東西南北制覇で使っちゃうとなんかイメージが崩れたように思う。

カッコいい言葉はなんだろう、と思ったけど単に「制覇」とかでいいんじゃないかな。


以上、体裁は新しくて綺麗なのに

ところどころに疑問を感じずにはいられない番組の感想でした。


やっぱ視聴者参加型って難しいねぇ。

なにかのジャンルに突き抜けた人たちの使い方としては、こんなクイズ番組よりも、「マツコの知らない世界」のような取り上げ方が上手いかもね。クイズ番組で問うて答えさせるより、自由に語ってもらった方が深い部分までえぐれる気がする。


カメラを止めるな!(お笑いと映画と)

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大ヒット上映中の映画、『カメラを止めるな!』を観に行きました。元々東京都内2つの映画館でしかやらない予定だった本作ですが、大ヒットに伴い現在では全国200近くの映画館で上映されているようです。


僕は2日前に予約しましたが、朝イチの上映にも関わらず半分くらい席が埋まっていました。(300人くらい入るスクリーン?) 当日はもちろん完売。その日の分はほぼ完売でした。


何と凄まじい映画なんだと思い、入場しました。この映画は何と言っても観客が声を出して笑えるような、お笑い映画に仕上がってるという点が見どころだそうで、無類のお笑い好きの僕はワクワクしていました。


あまり言うとネタバレになるのですが、この映画はネタフリとその回収が全体を通した大きな流れの中である、といった感じです。


僕は漫才が好きなのでこれはお笑いの形でよくあるのは分かるのですが、映画でこのような「前フリの回収」を大々的にやっているのはあまり観たことがありませんでした。


ただ、映画でよくあるのは「伏線の回収」ですよね。素晴らしい映画の中には気づかぬうちに数々の伏線が敷かれていて、ものの見事に回収してのけるものが多い。


一方、「前フリの回収」とはどこか前フリの時点で違和感を覚えるものです。今回の『カメラを止めるな!』作中にあるのは違和感を覚えるシーンが多かった。それが綺麗に回収されるのですが、伏線といっては稚拙すぎるものでした。


違和感がありながら、綺麗に回収すると笑いが半減する気がしました。違和感には、やっぱり爆発的なオチが必要です。それがこの作品にはあまり無かった。


ここで勘違いしてほしくないのが、この作品は映画の構成という意味では素晴らしかったし、何しろ斬新だった。ただ、回収するのが、「前フリ」なのか「伏線」なのか。そこが引っ掛かりました。


「前フリ」にしてはオチが弱いし、「伏線」だったら回収は綺麗だけれどそもそも伏線のこじつけが過ぎる。


多分、前者を作ろうとしたんだろうけど、やっぱり万人ウケするオチしか無かったのが残念でした。あんなボケで全国が笑うんだ〜と思って観ていました。


ただ、これをコメディ映画として単純に評価すると星5つなのも納得がいくなぁという感じでした。ただ中身のボケはお笑いではないかな。


麒麟M-1グランプリ2001決勝のネタなんかは、この作品の構成に近い漫才だと思います。ジャンルは違いますが、是非見てみてはいかがでしょうか。


僕の趣向がやはり漫才やコントなどに偏っているのが今回分かったので、もっとたくさんのコメディ映画に触れたいなと思えました!勉強します!


天才を勝手に諦めた天才

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『天才はあきらめた』を読んだ。南海キャンディーズ山ちゃんの自叙伝。


昔の自分をあたかも他人のように客観的に書いているので、くどくなく読みやすかった。


NSC時代やM-1創成期時代の話がお笑いファンの僕の心をくすぐった。NSC22期生は売れっ子キングコングを筆頭に、ダイアン、とろサーモンなど。前後にはブラックマヨネーズフットボールアワー麒麟笑い飯、千鳥なんかが居る。陣内智則友近も確かそう。


この自叙伝にも出てきたが、彼らの時代のオーディションやネタバトルの話が格別だ。酒を持ち込みネタ見せの受付の列に並んでわざと大声で談笑をしていた2組のコンビ、笑い飯と千鳥の話なんかは映画のワンシーンのようだ。


そんな同期達の中でどぶまみれになりながらも山里亮太は確実に芸の道を進んでいくのだ。天才はあきらめた、と謳っているが自分に対する分析力や思考の過程を追っていると、お笑いに対する取り組み方は天才や秀才の部類に入るのではないか。もしかすると病人なのかもしれない。


時に人を蔑み天狗の鼻になりながらも、厳しい漫才師の世界の上澄みになろうと必死になっていた若き日の山里亮太。僕は彼の姿を想像して胸を打たれた。


「お笑い芸人」という世界はバラエティや劇場だけにとどめるのではなく、こうやって小説や、はたまた映像に残すことは意味のある行為ではないかと思う。


僕がもし映画監督なら、NSC22期生前後の芸人たちの熾烈な争い・実力社会と自身との葛藤を映像に起こしたい。